もう一度、『ベートーベンウイルス』…はじまりの交響曲15

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なし もう一度、『ベートーベンウイルス』…はじまりの交響曲15

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2013/10/4 7:47 | 最終変更
hiroko  レギュラー   投稿数: 53
「やれやれ」
マエは独り路上で、離れていく恩師のタクシーを見送った。
『そうだ。気がついているー』
ルミや、マウスフィルの面々に出会ったことで、心が揺れるるのが怖かった。
人の心は変わってしまうもの。
自分の心だって、わからない。
人と深いところでつながることを望みながら、また失う不安。それでもまた望んでいる自分。
怖かった…ということは、それだけ心が揺さぶられたということだ。
ーかつてないほどにー
揺れ幅の大きさにおののき、ルミの手を放してしまった。
もう一度、掴めるだろうか。わたしに。
もし、その手を掴むことができたとして、その後わたしは変わってしまうのだろうか?
マエは家路の途中で、夜の空を振り仰いでみた。

それからも、マエは超多忙な毎日を送った。
公演のプログラミング、演出からすべて。オケとの練習。教育プログラムを考え、集客を増やすアイデアを考え。
客演を探し、時に取材。自治体の援助を得るため、または寄付金を集めるために、乗り気ではないが会食などをこなす。
…といった仕事に追われ、恩師との夜のことをゆっくりと考えることは無かった。
ただ、ふと、なにかの拍子に、例えば
トーベンと散歩中、自転車にまたがった髪の長い女性に追い抜かれた時。
夜食に簡単なスープを作る時。
ふと入った店で子供用のお菓子,フーセンガムやビスケットを見た時。
左手の小指にすでにない指輪を思う時、浮かぶ顔。
胸をちりちりとかすめる痛みに、マエはそおっと手をあてるようになっていた。
そして、日常の忙しさに胸の痛みをかき消す。
そうやって季節が移っていく。
ヨーロッパ各地での公演を含め、いくつか公演を成功させ、ミュンヘンフィルとカン・ゴヌ マエストロの名声はあがり、どこに行っても、チケットの売り上げは上々だった。

いつしか、一年が経とうとしていた。


「カン先生!お荷物届いていますよ。
お部屋にお持ちしておきました。お電話も何度かありました。」
フランスでの演奏会を終えて高速列車でミュンヘンへ戻ったマエは直接事務所を覗いた。
マエにラドヴッックが声をかけてきた。
チケットの売れ行きも順調で、事務の皆も機嫌がいい。
マエは指揮者室へ戻って、机の前の椅子になだれ込むようと座った。
独りの時以外はマエはかなり姿勢、立ち振る舞いに気をつけている。
いつも歩く時は、胸をはり、座る時も、歩く時も必ず余計に大きな音は立てない。
疲れなど見せないように気をはっているのだ。
だが、さすがに演奏の後の、公演関係者、特にフランス側の関係者との会食の後、そのまま2時間以上の移動はこたえた。
思わず、座り込んでしまった。
『疲れた。』誰に言うとも無く言葉に出して気を取り直し、姿勢を正した。
どうしても、事務的なことは今日中に済ませて起きたかった。
明日からは、また、新たなツアー準備が始まる。
ソクランを出てからずっと、走り続けた。立ち止まったり、休んだり、今しばらくはしないつもりだ。
あいつらが私を見ているだろう。『私に従う』と言った。
そんな皆のためにも、わたしは遠くからでも見えるように、光をともし続けねければならない。道に迷わぬように。この高みまでたどり着くまで。
それが、私の役目だ。
ブリーフケースからリーディンググラスを出してかけると、目の前の書類肩端から目を通し、急ぐものと急がないものへ分類しはじめた。
やがて、A3の大きく、分厚い封書が出てきた。
『何だっただろう?』
マエもすぐには思い当たらず、送り先を見ると韓国の雑誌社からだった。
個人の取材は基本、乗り気ではないマエだが、韓国の雑誌にだけは取材に応じるようにしてきた。
少しでもソクラン市響の力になる機会を信じてのことだった。
これも、たまたま受けた記事を書くため、参考になるように送られた幾冊かの楽譜やデモテープだった。
企画で次世代の若い韓国の作曲家たちの記事を書くためだった。
『韓国の若手作曲家…』
まったく無名の若手作曲家の、だが、雑誌社の目に留まった曲が贈られてきていた。
マエはその束を手にとった。何故だか、少し、胸が鼓動を打っていた。
パラパラめくっていた手が止まった。マエの全身の動きも止まっっている。
その目は一点を凝視している。

楽譜の中にあった、名前。
―トゥ・ルミ―
『ルミ。久しぶりだな。よくやった。元気だったか?』マエはようやく呟いた。

マエのミュンヘンでの二度めの夏がくる。
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